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日常視点の目からうろこのビジネスアイデア、ちきりんアンサーブログ

日本の紙袋文化を世界へ輸出できないものか

ある地方都市(県庁所在地)で繁華街を歩いていたら、百貨店の紙袋を手に下げている

人が目についた。後日、仕事で銀座を通りかかったから気に留めてみていたが、日中のは買い物客は少ないとはいえ、百貨店の紙袋はなかなかお目にかかれない。中国人の爆買などといわれているが、デパートの紙袋を持っている人はいない。

デパートで買い物をしても、テナントの袋をもって出てきてしまうと、池袋の東武デパートに入っても、ユニクロの袋をもって出てくると、東武デパートのユニクロで買ったのか、それともサンシャイン60通りのユニクロで買ったのか、区別がつかない。デパートに入っているテナントはシャネルかもしれないしポール・スミスかもしれないけれど、シャネルのブティックは池袋では西武にしか入っていないから、これは特定できる。

百貨店の地盤沈下は久しいが、都内の百貨店は、駅ビル(エキナカ)の商業施設の機能に集約されているのだと考えられる。店の看板で勝負ではなく、名を捨て実をとる戦略ということになる。マーチャンダイジング力ではなく、ブランドショップを誘致してくる機能が生き残りのキードライバということか。

 

デパートの紙袋や包装紙はブランドの代名詞で(効果測定ができないが)持ち歩いてもらうことで自動マーケティング機能をもっていた(いまはインターネットのホームページが24時間で営業してくれる)。日本の小売流通業はトータルブランディングの文化をもっていた。

 

虎屋、北海道おみやげ六花亭、愛知のゆかり、老舗で思いつくところどれも袋を見れば、銘柄が想起される。日本は紙文化で、こういったところもクール・ジャパンとして海外に輸出していきたいところだ。その昔、スーツショップが数えるほどしかなかった頃、スーツもコートも箱づめで店から持ち帰った。スーツもコートも高級品だったからだ。プラスティックの衣装ケースはあんまりなくて、洋服ダンス(これも死語か?)の上には、洋服を買った時の化粧箱が重なっていたものだ。